脊髄の全体像を観察する上で不可欠なBZシリーズ

岡野 栄之 氏

慶應義塾大学大学院医学研究科委員長
慶應義塾大学医学部生理学教室 教授
医学博士

1959年生まれ。1983年、慶應義塾大学医学部卒業。同大学医学部生理学教室の助手を皮切りに、大阪大学蛋白質研究所助手、東京大学医科学研究所化学研究部助手、筑波大学基礎医学系分子神経生物学教授、大阪大学医学部神経機能解剖学研究部教授を経て、2001年から慶應義塾大学医学部生理学教室 教授。2007年から大学院医学研究科委員長。主な研究領域は分子神経生物学、発生生物学、再生医学。これまでに「日本医師会医学賞」、「Distinguished Scientists Award」、「文部科学大臣表彰(科学技術賞)」、「STEM CELLS Lead Reviewer Award」、「井上学術賞」「紫綬褒章」など受賞・受章多数。国際幹細胞学会理事。

神経細胞の発生・再生のメカニズムを探究。脊髄損傷の治療をめざした応用研究にも着手

中枢神経系の再生という前人未到の研究分野で、世界トップレベルの業績を積み重ねてきた岡野 栄之氏。研究の領域は広く、神経細胞の発生および再生のメカニズムを明らかにする基礎研究に加え、応用研究として脊髄損傷に対する幹細胞を用いた再生医療の確立をめざしている。損傷したヒトの中枢神経系は再生しないという医学の定説に挑みつつ、高度な安全性に裏打ちされた再生治療の実現に向けて研究を続けている。

01. 神経系の疾患や損傷の治療につながる画期的研究

近年、再生医療が現実味を帯びてきている。ES細胞やiPS細胞の話題がニュースとして頻繁に取り上げられ、社会の関心は高い。すでに皮膚の再生が一部で実用化されているほか、血液を人工的に作りだす研究などが進んでいる。

さまざまな再生医療の中で期待が大きいものの、これまで実現が困難とされてきたのが脳および脊髄の中枢神経系の分野である。それというのも、医学界では「一度損傷を受けた成人ほ乳類の中枢神経系は再生しない」というのが長い間、定説とされてきたからだ。

この定説を打ち破る画期的な発見を成し遂げたのが、慶應義塾大学医学部教授の岡野栄之氏である。同氏は成人の脳に神経幹細胞があることを世界で初めて見つけ出し、この細胞を用いることで中枢神経系の再生が可能であることを立証した。

イメージ:岡野氏の研究室のテーマの一つが…
岡野氏の研究室のテーマの一つが、神経幹細胞から中枢神経系を構成する各種の神経細胞(ニューロン)およびグリア細胞を効率的に誘導する系の確立である。画像は研究室のWEBサイトからの引用。

岡野氏は、1990年代にショウジョウバエを用いた神経幹細胞の分化制御機構の研究を経て、マウス、さらには、ヒトに近い霊長類に属するコモンマーモセットにおける神経発生の制御機構について研究を重ねている。中でも、成体脳に存在する神経幹細胞をはじめ、ES細胞やiPS細胞を用いた中枢神経系の発生メカニズムの解明に挑んでいる。

イメージ:左写真は神経系のもととなる神経幹細胞…
左写真は神経系のもととなる神経幹細胞。右はニューロン。
(写真提供:砂堀毅彦氏・慶應義塾大学医学部 助教)

神経系を構成するニューロンとグリアは、ともに神経幹細胞から生まれる。岡野氏はこの仕組みを解明し、脳細胞が発生する基本メカニズムを明らかにすることで、神経系の疾患や損傷の治療につなげようとしている。研究の動向は今や世界中の注目を集めているのだ。

02. 不可能とされてきた脊髄損傷の治療に光明

岡野氏が基礎研究の重要な標的としているのが、脊髄損傷(脊損)の治療である。脊損は転落などの事故や腫瘍などの病気によって引き起こされる病態。脊髄は損傷すると自然に再生することがないため、運動機能や感覚知覚機能の一部もしくは全部が損なわれてしまう。厚生労働省の資料によると、日本国内だけで毎年5000人以上が交通事故などで脊髄を損傷していて、累計で10万人以上が身体の麻痺などに苦しんでいるとされる。

岡野氏が神経系の再生医療に取り組んだきっかけは、恩師の一人が脊損によって身体が不自由になったのを目の当たりにしたこと。何とか治療できる道を見つけたいという医師としての使命感から未知の研究分野に挑んだ。研究の過程で中枢神経系の再生医療の可能性を発表したことで、脊損に苦しむ患者さんから多数の手紙が届き、研究の意義の大きさを改めて痛感したという。

イメージ:上図は損傷した脊髄に線維芽細胞を移植したもの…
上図は損傷した脊髄に線維芽細胞を移植したもの。下図は脊損したままの脊髄(緩衝液を注入した標本)。全長の実寸は約14mm。いずれもHE染色の後、拡大撮影。オールインワン蛍光顕微鏡BZシリーズの「イメージジョイント」機能を用いて写真合成。
(写真提供:辻収彦氏・慶應義塾大学医学部整形外科)

現在、脊損の治療法の研究は基礎研究の段階を経て次のステージへ向おうとしている。
「我々が志向しているのは、難治性の神経疾患を根治するという、だれもまだ手がけていない領域。だからこそ、基礎研究による理論的な実証を積み重ねていくとともに、臨床へのトランスレートという両方の局面が重要だと考えます。そして近い将来、神経幹細胞もしくはES細胞、iPS細胞のいずれかを用いて、臨床研究ができるように全力を尽くしています。高度な安全性に裏打ちされた治療を実現するためにも、基礎研究を厳密に行い、再生メカニズムを解明したいのです」と岡野氏は抱負を述べている。

03. 研究者の育成や共同研究にも積極的な取り組み

岡野氏は神経系の再生医療に向けた基礎研究を進めるとともに、次代を見据えた研究人員の育成にも力を注いでいる。2003年には文部科学省の「21世紀COEプログラム」(平成15年度)に、「幹細胞医学と免疫学の基礎・臨床一体型拠点 −ヒト細胞とin vivo実験医学を基礎とした新しい展開−」が採択され、5年間にわたって世界最高水準の拠点として、幹細胞生物学・再生医学・免疫学・自己免疫疾患研究において多大な研究成果を成し遂げた。

イメージ:岡野氏
「研究者としての知的好奇心を刺激する分野だけに若い人の挑戦を大いに期待しています」と語る岡野氏

「再生医療は世界中の研究者がしのぎを削る厳しい世界」と前置きしながら、「だれも手がけていない領域を開拓でき、研究者としてこれほど面白く、やりがいのある仕事はありません。我こそは、と思う若い人たちにはぜひ研究に参加してほしいのです」と、熱いメッセージを送っている。

また、共同研究についても岡野氏は意欲的だ。「ほかの大学や民間企業とはすでに数多くの実績がありますが、これからも研究のシステムアップに向けた提携に取り組んでいきたい」と語っている。

神経系の再生医療において世界をリードする岡野氏。その取り組みは医療のあり方を根本的に変えていく可能性を秘めている。

04. 世界でも有数の研究員と設備を結集した研究所

現在、岡野氏の研究室は5つの研究グループと2つの独立講座からなる。研究員や技官、秘書など総勢で約70名という世界でも屈指の規模を誇る研究室である。コモンマーモセットやマウス、ショウジョウバエの実験室を備えているほか、コンフォーカル顕微鏡やセルソーターなど最新の観察・計測機器をそろえていて、まさに最先端の研究施設となっている。

数ある顕微鏡の中で、新たに導入したのが、キーエンスの蛍光顕微鏡BZシリーズだ。購入前に行ったデモの時から研究員の間で評価は高かったという。用途の一例が脊損部における幹細胞の観察。これには低倍率で脊髄全体の状況を見ることが欠かせない。

また、研究の効率化に直結していると評価されているのが、脊髄の拡大画像と広域画像を関連付けながら撮影することができる「イメージジョイント」機能だ。これによって複数の画像を自動的に連結して、輝度ムラのない広域画像を短時間で作成することができる。

イメージ:最新鋭の観察・計測機器が並ぶ…
最新鋭の観察・計測機器が並ぶ研究室の風景

「従来、画像合成は手間のかかる作業で、研究員は時間をとられていました。しかし、BZシリーズの活用によって、2週間かかっていた実験が3日ほどでできるようになりました。この効率の向上によって、同じ実験を繰り返し実施し、n数を増やすことができます。そして、正確さを裏付ける“再現性”を確認することができるわけです。これは基礎分野の研究では特に重要なことで、我々真理を追求するサイエンティストにとって大きなメリットと言えるのです」と、岡野氏は導入効果を述べている。

05. 脊髄の全体像を観察する上で不可欠なBZシリーズ

導入間もないにも関わらず、研究室内で20名以上もの研究員がBZシリーズを利用しているという。その背景には、各種機能の使い勝手の良さが、研究効率の向上につながると理解されているからだといえる。

「未知の領域を拓く研究を行っているだけに、神経細胞が本当に再生したのか、それとも特異な現象でしかないのかを厳密に検証していく必要があります。そのためには、まずBZシリーズで脊髄などの全体像を確認していくことが欠かせません」と岡野氏は評価する。

世界をリードする研究室だけに最新鋭の観察機器が数多く導入されている。それでも「BZシリーズは必須だった」と岡野氏は語る。「高倍率や高解像度の顕微鏡は各メーカーからさまざまなものが出ているが、細胞の全体を見たいという時にはBZシリーズしかないという判断でした」

購入の意思決定に際しては、研究所内での汎用性を考慮したとのこと。「一部の用途だけではなく、研究員全員の役に立つ機器であるかどうかを考えて購入を決めました」と語る。

イメージ:観察室に設置されたBZシリーズ…
観察室に設置されたBZシリーズ。省スペースで場所を取らない点もメリットの一つ

汎用性については、広く役に立つという意味に加えて、だれでも手軽に利用できるという面もある。その点、BZシリーズはコンフォーカル顕微鏡と異なり、高度なスキルが必要なく、また専門の技官がつく必要もない。初めての利用者でも短時間で習熟でき、研究に役立てることができる点が魅力だ。

そして、研究効率の向上とともに岡野氏が指摘するのが、画像のクオリティ。「拡大写真がきれいかどうかは、論文が審査をパスする上での境目」と語る。この点についてもBZシリーズは申し分ないとのことだ。

06. BZシリーズ独自の機能が研究効率の向上に貢献

研究室でBZシリーズを実際に使用している研究員に感想を聞いてみた。大脳皮質における神経幹細胞の分化メカニズムを研究している砂堀毅彦氏(慶應義塾大学医学部・助教)は、コモンマーモセットの大脳皮質の切片を輪切りにした標本をつくり、神経幹細胞からニューロンが産生される過程を時系列で撮影する目的などに使用している。

イメージ:砂堀 毅彦 氏
慶應義塾大学医学部・助教
砂堀 毅彦 氏

標本の観察ではコンフォーカル顕微鏡と併用しているとのことだが、「低倍率で全体を観察したり、画像のボケをクリアに補正したりするのにBZシリーズが役立っています」と語る。また、拡大画像を連結して、つなぎ目や光量ムラを補正する「イメージジョイント」機能をしばしば利用しているという。

「それまでは一枚ずつ撮影しては手作業で画像をつなぎ合わせていました。手間がかかる上に濃淡にばらつきがあり、画像としての品質に難がありました。それがBZシリーズによって自動化され、問題が一気に解消しました。大脳皮質の6枚程度の写真を補正して、合成するのに以前は数時間かかりましたが、今では数分で済んでしまいます。しかも、クオリティの高い画像を得ることができて満足しています」

砂堀氏によると、近年、論文掲載用の写真は「画質良くて当たり前の時代」であり、自身も写真撮影の際は画像の品質を常に心がけているそうだ。

07. 「BZシリーズは電源オンで立ち上がりが早く、すぐに観察できる」

標本の全体像を観察する際に砂堀氏が重宝しているのが、「クイックフルフォーカス」機能。対物レンズの焦点位置を電動Z軸ステージで移動させ、複数枚の画像を取り込むことによりフルフォーカスの画像ができるもの。中枢神経系の軸索のように被写界深度が異なる場合、この機能があるとピント合わせの煩雑さがなくなるとのこと。

イメージ:成体マウスの上衣細胞の染色画像…
成体マウスの上衣細胞の染色画像。
左図は横5枚縦8枚で撮った画像をつないだ生データの状態。つなぎ目部分の濃淡が目立つ。
一方、右図はBZシリーズの「イメージジョイント」機能によって画像のつなぎ目の濃淡を自動補正したもの。つなぎ目はほとんど気にならない。BZシリーズを用いると「画像の撮影および画像の合成、補正で所要時間は3分以内」とのこと。
(写真提供:砂堀毅彦氏・慶應義塾大学医学部 助教)
イメージ:成体マウスの上衣細胞の染色拡大画像…
成体マウスの上衣細胞の染色拡大画像。左図は生画像で蛍光ボケの状態。右図はBZシリーズの「ヘイズリダンクション」機能によって蛍光ボケを除去したもの。観察したい細胞がクリアになっている。(写真提供:砂堀毅彦氏・慶應義塾大学医学部 助教)

また、標本内の細胞の数を計測するのに役立っているのが、「ダイナミックセルカウント」機能だ。二値化による輪郭抽出ではなく、輝度の変化で個体を分離する独自の抽出方法を採用しているため、円形ではない癒着の激しい細胞でも分離してカウントすることが可能。「細胞数の計測精度が上がった」という。

研究に役立つ機能とともに、研究員の間で好評なのが電源オンですぐに立ち上がる点。「従来、蛍光顕微鏡というと最適の設定をするのに手間がかかったりと面倒でしたが、BZシリーズは使いたい時にすぐに観察できる点がいいですね。使用頻度の高い大学院生からも使いやすいと好評です」

神経系の再生治療の研究で世界の先頭を走る岡野氏の研究室。それだけに今後はこれまで以上にし烈な国際競争に打ち勝っていかねばならない。日進月歩で研究が進む中、実験標本の観察をいかに効率化するかが大きな課題だ。BZシリーズは役立つ機能と使い勝手の良さによって、最先端の領域を開拓する岡野研究室を強力にバックアップしている。

(2008年7月現在)

追記: 岡野栄之氏のその後のご活躍

世界で初めてヒトのiPS細胞によるマウスの脊髄損傷治療に成功

岡野栄之氏が取り組む脊髄損傷の再生治療は新たな段階を迎えた。2009年2月4日に開催された「第5回慶應義塾先端科学技術シンポジウム」で同氏が発表したところによると、ヒトのiPS細胞を用いたマウスの脊髄損傷治療に世界で初めて成功した。

実験では、ヒトのiPS細胞から作製した神経幹細胞を脊髄損傷のマウスに移植。その結果、移植した29匹のマウスのほとんどが、非移植群と比べて有意な運動機能の回復を示し、後肢に体重をかけ、前肢と後肢の協調運動が可能になるまでに回復したという。

マウスの神経細胞はヒトと似た構造であることから、今回の実験の成功はヒトでの応用に向けた大きな前進といえる。現時点ではiPS細胞による治療は、腫瘍形成の副作用が懸念されているので、岡野氏は治療の安全性という観点から、今後も実験の経過を慎重に見守っていく考えだ。

<豆知識> 神経幹細胞

神経系を構成するニューロンやグリア細胞を生み出す幹細胞。従来、ほ乳類の成体脳の神経細胞は増えることはないというのが医学界の定説であったが、岡野氏の研究によって、脳の中に神経幹細胞があることが判明し、中枢神経系の再生医療への道が開かれることになった。

<豆知識> iPS細胞

iPSはinduced pluripotent stem cellsの略。直訳では「誘導分化万能性幹細胞」だが、一般には「人工多能性幹細胞」とされる。体細胞をもとに作りだす分化万能性のある幹細胞。理論的には、iPS細胞から身体のあらゆる組織を作りだすことが可能とされている。ただし、研究はまだ基礎段階であり、分化時の細胞の腫瘍化など解決すべき課題は多い。