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ミスを責めるのではなく、後学にする

 失敗学という言葉も世に定着したが、失敗に学んで同じ轍を踏まぬようにするのが基本的考え方である。しかし、やり方は2通りあって、人の注意力に頼る精神論的方法と、その失敗が起こらぬよう、工夫をする創造的手法である。

 仕事で何か失敗をすると、いち早く謝らなければという心理が作用して、「申し訳ありませんでした」という謝罪が口に出る。そして即座に思いつく解決、「以後、気を付けます」と続くことが多い。このとき、「うん、頼むよ」とその解決を受け入れたのでは、いずれまた同じ失敗を繰り返すことになる。効果がないと失敗学で教える精神論的解決、すなわち人の注意力に頼ったやり方である。

 世の中、機械がずいぶんな発展を遂げて、私たち人間との共同作業をかなりの部分までカバーしてくれるようになった。しかし道未だ半ばである。私たちが、メーターが指す数値を読み取って次の行動を決めたり、手順を覚えこんで、逐一機械のボタンを押したりと、まだまだ人の判断が共同作業の進行を決めなければならない。
 その私たちは機械ではないのだから、100%の正確さを求められても困る。計器を読み間違えることもあるし、ボタンを押し間違えることもある。うっかり間違って失敗が起こってしまったのは、人と機械を含めた系が、人に頼り過ぎているからと考えればよい。そう考えず「人間の注意力」を高めることで失敗対策とするのは、何もしていないのと同じである。

 失敗学では「三大無策」と呼んでいる失敗対策がある。「周知徹底」、「教育訓練」、「管理強化」の3つである。世の中で新聞沙汰となるような不祥事があり、経営層の記者会見が行われると、対策として必ず登場してくる。この3つが3つとも揃い踏みのようにお出ましになると、「してやったり」と手を叩きたくもなるが、不祥事の記者会見なのだから喜んでいては不謹慎だろう。
 これら対策をよくよく考えてみると、経営層が現場に責任を押し付けている気持ちが見え隠れして面白くない。すなわち担当者が知らなかった、訓練を受けていなかった、気が緩んでいたとの考えを、響きの良い四字熟語で置き換えて、あたかも強固な対策を打ったかのように報道陣を煙に巻いている。
 真の問題はもっと深いところにあって、知らなかった、教育されていなかった、あるいは気が緩んでいた担当者が、なぜその大事な工程を任されていたか、組織の仕組みが大問題である。もちろん、担当者にきちんと教えることは今後の解決には必要だが、もっと根本的な組織の問題を正さなければ、姿を変えて違う問題が出てくること必至である。

 組織の中で失敗が起こってしまったら、その人を責めることは無用である。本人が自分の問題として一番よく知っているからである。それより「どういう仕組みを作りこめば、同じ失敗が起こり得なくなるか」をその人と一緒になって考えることである。
 大学で、当時トレンド入りしていた失敗学を教え始めて10年以上になるが、今でも教え続けている3つの大学院では、失敗学は1コマか2コマで終わらせて、創造設計の講義・実習に力を入れている。世の中の事故について学習し、その知識を身に付けて同様な事故を回避することも大切だが、その事故が起こり得ないような仕組みを編み出す方がよほど有効であり、教える方も学ぶ方も楽しいからである。

 解決したい問題は、自分で見つけるところからこの講座は始まる。そして今までにない創造的な手立てを考える手助けをする。3大学院の学生には、自分たちの考案した製品をポスターにしてもらい、失敗学会の社会人グループも加わって毎年デザインコンテストを行って、成果を競っている。
 これからは、ますます人の労働分野に機械が割り込んでくる。今のところ、機械にはない創造性を発揮することで、私たちの社会は発展していくだろう。

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飯野 謙次 (いいの・けんじ)

スタンフォード大学工学博士。東京大学特任研究員。特定非営利活動法人失敗学会副会長。

1959年大阪生まれ。東京大学大学院工学系研究科修士課程修了後、General Electric原子力発電部門へ入社。

その後、スタンフォード大で機械工学・情報工学博士号を取得し、Ricoh Corp.へ入社。2000年、SYDROSE LPを設立、ゼネラルパートナーに就任(現職)。

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